ころなか コロナ禍 コロナ下 コロナ渦 コロナ鍋

相変わらず「ころなか」が続いているわけだが、これまた相変わらず「ころなか」がこじらせているようだ。
最近耳にするようになったのが、「ころなかにあって、…(考えるべきこと、とか、生活スタイル、とかなんとか)」といった言い回し。ただし、「コロナ禍にあって…」という使い方には、違和感があった。
しばらく前からテレビには(適宜)字幕が出されることがあり、ふと見たら、「コロナ下」と表示されていた。「コロナ禍のもとにあって」ということを表しているわけだ。うすうすそうではないかなと思っていたが、やはりそう来たかという感じだ。
「ころなか」の出発が、「コロナ禍」であることはまず間違いない。ただ、この「禍」はわかりづらい。「コロナ禍」の状況のもとでのことを表すのに「戦時下」とか「災害下」のように「~下」と言いたいけれども「コロナ禍下」だと「~かか」でゴロが悪い。そこで、「ころなかで」にしてしまう。字を当てるなら「コロナ下」になるわけだ。ゴロの悪さとともに「コロナ」が「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)拡大に伴う悪い状況」を意味するようになったことも効いている。「コロナ」を固有名詞に使っている方々にとっては実に迷惑な話である。コロナは、「冠」の「クラウン」を語源とし、ウイルスの形状が似ていることからの命名であり、太陽のコロナの方がはるかに早くから用いられ、その美しさと神々しさから名前に取り入れていたのに、ウイルスのせいでイメージを落としてしまった。
「コロナ」のイメージの話ではなかった。問題は「ころなか」だ。最大の問題は「禍」に違いない。その点で「ころな」ではない。「禍」のわかりにくさが、「コロナ下」を生み出した。これは言語変化の一般理論では「民間語源」と呼ばれるものに該当する。また、「類音牽引」でもある。わかりにくい「禍」から、一般的でわかりやすい「下」に変化させたものと見られる。
「ころなか」は、発生の初期段階から「コロナ渦」という表記が見られた。これは、類字牽引とも言うべきものかもしれない。「禍」というなじみのない字ではなく、「渦」というよくわかる文字を当てはめた。「何かに巻き込まれる」というイメージが背景にあることも考えられそうだ。
「コロナ鍋」も見られるという指摘も早くからあった。これはちょっと意味がつかみかねる。そんなのが、この冬には流行るのだろうか。これを食べると、コロナもぶっ飛ぶ、みたいな鍋。ワクチンより先にできることを期待したい。
それはさておき、ウイルスの正体よりも、ほんの半年以内の短期間に猛スピードで変化する「ころな」「ころなか」を注視し続けたい。

数値の意味

COVID-19の感染者数が毎日報道されるが、その数値の意味するところがわからない。
一喜一憂すべきでないのか、すべきなのか、それもわからない。
まさにここは統計の専門家が定見に沿って解説すべきところだと思うのだが、なぜかほとんど見あたらない。
「コロナ 統計学」で検索してもそれらしき解説がヒットしない。
なぜだ?
統計があれば、統計学で読み解けば、何でもわかると言っていたではないか。
それとも、そんなふうに言われていたように、誤読や誤解をしていたのだろうか。

コロナの新規感染者数グラフ

コロナの新規感染者数が、東京都を中心に、ここのところ毎日200人超が続いている。
増加原因は、調査対象者を増やしているからと説明されることが多い。
そうだとすると、単純に感染者数をもとにグラフとして示すのは、グラフの表示方法として正しくないと思われる。
これは、感染者数をもとに都道府県別に濃淡で地図を描くのが間違っているのと類似している。濃淡を使うなら人口比を使うのが正当な地図描画である。
感染者数をグラフにする場合、調査方法が異なるのなら、何らかの補正をかけるべきだろう。
統計学ではそのような方法は確立していないのだろうか。
もしそうだとしたら、惑わせるだけのことであるから、グラフは使わない方が良いと思う。
たしかにグラフや地図はわかりやすいが、同時に誤解の元にもなることを忘れてはいけない。
特にこんなときにこそ大事なことであるはずだ。

ころなかって言ってたのかも

ころなうず(コロナ渦)もころななべ(コロナ鍋)も耳にする今日このごろ、もしかしたら、ころなかも言われていたのかもしれないような気がしている。
先日、ラジオを聞いていたら、明らかにころなかの文脈で、ころなかと言っていた。
そこで、はたと気がついた。ころなかと言っているのに、ころなかと聞いていなかったかもしれないということだ。
ころなかに耳がなれていないために、ころなかと言っているのに、「この中」とか「世の中」とか聞いてしまっていたかもしれない。
でも、ラジオでどう言っていたかなんて、こんなに情報社会になっても検索できないだろうから、本当のところはどうなのか、やっぱりわからない。

ころなか

流行りだした頃は、「新型コロナウイルス感染症」はあまりに長いので、そのうちシンコロとか呼ばれるようになるのではないかとひそかに予測し、そうなると江戸時代のコレラがコロリと呼ばれたのと似て、新しい類音牽引や民間語源の事例になるかもしれないと期待していたが、見事に外れ、ただコロナとだけ呼ばれているようだ。
それはまあそれとして、気づけば「コロナ禍」だ。老眼の進む目には最初「コロナ鍋」に見えて、おもっきり煮込んだあつあつの鍋料理を想像したが、もちろんそんな美味しい話はない。
いや、そんなことはどうでもよい。
「コロナ禍」。このところ目にしない日はない。新聞でもネットでも、週刊誌は読まないがその広告でも、とにかく目に付く。目をやれば、そこにいる「コロナ禍」というくらいの勢いだ。
ところで、「コロナ禍」は何と読むのか。おそらく「ころなか」だろう。「ころなわざわい」ではなさそうだ。
でも「ころなか」はほとんど耳にしない。テレビはあまり見ず、家人が見ているのを横で聞き流しているが、「ころなか」は聞こえてこない。
テレビを見ない一方でラジオはよく聞いている。風呂にも防水タイプを持ち込むほどだ。それでも「ころなか」を聞いた覚えがない。
「ころなか」は、あきらかに現れに偏りがある。書き言葉であり、見る言葉、読む言葉なのである。話したり、聞いたりするときには、ほとんど使われない。
そんなことに気づいた散歩道で、ふと、ころなか、とつぶやいてみた。
かわいいわけがないが、せつない響きだった。

マスクと仮面

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡大に伴い、世界的にマスクが不足している。
欧米ではもともとマスクを付ける習慣がなかったとも報ぜられている。

マスク(mask)を英和辞書で引いてみると、仮面と訳されている。

マスクが外来語であることは言うまでもないが、日本語の「マスク」と「仮面」は違う。

「マスク」と言えば、口を中心に鼻から下を覆う物である。素材は、布、紙などで、以前はガーゼのような布が主だったが、今は使い捨ての紙が多い。ただし、品不足に伴い、近頃は布製も増えている。

「仮面」は、目を中心に覆う物である。大昔のテレビ番組のヒーロー「忍者赤影」が付けていたのが仮面であり、仮面の忍者と歌われていたはずだ。

ちなみに「覆面」は顔全体、もしくは頭部全体を覆うものであり、典型的なのはプロレスラーが使っているものだ。

「仮面舞踏会」を和英辞書で引くと、masked ballという訳が示される。実体験はないが、仮面舞踏会で身につけるのは、目を中心にして、メガネのように覆い隠すものだろう。英語では区別がないからといって「マスク」で参加すると斬新かもしれない。もっとも、この感染拡大時に舞踏会に参加するのはかなり度胸が必要だし、そもそも開催は自粛されていることだろう。なお、マスカレード(masquerade)もmaskと語源は共通するようだ。

マスクをしても、わりと個人認証は可能だ。めったに会わない人がマスク姿であっても、誰なのか認識するのは難しくない。むしろ、名前が出てこない方が悩ましいのは、年のせいだ。だから、自分を隠そうとしてマスクをしてもあまり効果は期待できない。

それに較べると、仮面は効果が高い。仮面舞踏会が仮面たるゆえんである。人の顔においては、目のあたりが、個々の標識として大きな役割を果たしているものと考えられる。

もっとも、人に知られたくないからといって、仮面で出歩くのはかえって怪しい。覆面はさらに怪しい。普通の神経ではコンビニに出入りなどできないだろう。

マスクも仮面もそれを目的語(補語)にする動詞は「つける(付ける)」だろうか。覆面は「かぶる(被る)」だろう。でも、もしかしたら、マスクを「かぶる」「きる(着る)」というのも使われているかもしれない。使用頻度が劇的に高まっているだろうから、調べてみるのも興味深そうだ。

ベテルギウス,ベテルギュース,…

もうみんなベテルギウスのことなんかどうでもよくなったみたいだ。
2等はいやだ,1等がいい,と1等代に戻ったというのにだれも振り向かない。
コロナに負けるな!
20年くらい前の本を見たら,ベテルギュースって呼ばれてたぞー!!
超新星を肉眼で見たいぞー!

ベテルギウス、爆発するなら冬が良いか、夏が良いか?

いずれ必ず超新星爆発するベテルギウスだけれど、爆発してくれるなら、どの季節が良いか?
もちろん、冬なら夜空を照らす超新星は見物だけれども、きっと明るすぎて、ほかの星を観測するじゃまになるだろう。シーズン中ずっと月光下のような状態になるだろうから。
夏だと、夜空の超新星は見えないかもしれないけれども、明るいから昼光のもとでも見える恒星として、それはそれで思い出に残ることになるだろう。
というわけで、夏の爆発に1票投じるというのは、あまのじゃくかな?

新年の信念

年が改まり、新しい展開になるか?
ま、自分次第であることはまちがいない。
とはいえ、自らをとりまくさまざまなことから影響を受け続けることも確かで、それをどう受け止めるかにかかっているわけだ。

多様性

上から目線で言うと、さまざまな意見が共存している状況に安心感を覚える年末だ。

それでは、多様な考えがあればそれで良いのかというと、それはそれでまた考えどころだ。

やはり、間違っていることは間違っていると明確に述べることが必要である。

ただし、それを「つぶす」などと言うからけんかになる。常に求められるのは冷静な姿勢だと心して、新年にのぞみたい。

もだんぴーしー

最近、勝手に表示される広告やらなんやらで「モダンPC」というのを目にすることがある。Windows10に対応した使い勝手のよいPCのことらしい。PCは基本的にCPUとメモリとグラフィックボードとSSDで決まりじゃないのと思い込んでいる自分には、モダンPCの良さがいまいちピンとこないけど、そもそも「モダン」って、そんなに惹き付けることばなのだろうか?

もしかしたら、モダンのモが柔らかいイメージを与え、ダンが「暖」かいイメージを与えるのかと思い、modern pcで検索してみたら海外のサイトもヒットしたので、日本語だけのことではないらしい。

世界的にモダン、モダーンってそんなに人気があるのか?
そうだとすると、モダンカメラとかモダンスマホとかモダンテレビとか、モダンなんたらが流行出すかもしれない。

今は、モダンジャズってあまりいわなくなったけど、これはたぶんスイングジャズと区別するためだったと思う。そういえば、中学生の頃、オーディオ店で何を聞くのかと尋ねられたので、ジャズですと答えたら、ダンモかね?と聞き返されたことを思い出した。

モダンPCが人口に膾炙したら、ダンモPCを広めるようにつとめよう。

区別していなかったこと

普段はあまりテレビを見ないが、出張先でテレビを見ていたら、自分は松雪泰子と高岡早紀の区別が付いていなかったことに気づいた。
○○と●●を同じと思っていることは、探せばほかにもたくさんありそうな気がする。

おすすめ『太陽ってどんな星?』

太陽黒点の数が少ない状態が長く続いている。
過去には黒点が極端に少ない時期に寒冷化の気候変動があったことが知られている。
マウンダー極小期と呼ばれる時期だ。
テムズ川が凍り付いたり、日本でも飢饉が起こった。
太陽黒点が少なくなっても、地球に届く太陽光がそれほど減るわけではなく、太陽黒点と寒冷期の関係は不明であった。

一方で、黒点が減少すると、太陽の磁気が弱まり、それにより地球に降り注ぐ宇宙線量が増加する。そのことで雲量が増加することが、寒冷気候を引き起こす可能性が指摘されている。

この仮説について、わかりやすく説明する本が出版された。
宮原ひろ子氏による『太陽ってどんな星?』新日本出版
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ティーンエイジ向けのようだが、説得力を持った書きぶりで感心させられた。
また、著者は若手の研究者だが、研究者がどのような考え方を持って研究活動を進めているかも生き生きと描かれている。

仮説については、これまでも、オリジンネータ、スベンマルク氏の翻訳書が恒星社から出ていたが、ちょっと取っつきにくいところがあった。

説の妥当性はまだ検証を要するようだが、すべてを地球上の問題に帰するよりも、さまざまな角度から問題にアプローチすべきことを考えさせられ、その点でも興味深い。

お薦めの良書である。

晴れない…

晴れないことには観測できないわけで、八月の観測日は3日にとどまる見込み。

最高傑作!

大西順子の新譜"Jatroit"を早速購入。
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今年の最高ジャズアルバムだと思う。
ここ数年の彼女の作品には心地よさはあるけれどもどこか物足りなさを感じていたが、このアルバムには熱狂が舞い戻ってきた。
特に4曲目のThe Threepenny OpetaはJaki Byardに捧ぐというサブタイトルが与えられた大西順子自身の作曲で、原点回帰を感じさせる作品だ。
ライブというのも功を奏したと思う。2019年2月ブルーノート東京での収録。ジャスはライブが最高だし、大西順子のピアノが一番光るのもライブだ。

変光星観測者会議

久しぶりに変光星観測者会議に参加してきました。
今回の会場は、明治大学生田キャンパス。
全国の観測者仲間に直接会えて、ためになる話も多く、週末の楽しい二日間でした。
どうしても目につくし、頭から離れなくなってしまったのがこれでした。
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「令和」の合字

それぞれの端末にフォントが導入されない限り、令和の合字は表示されないはずなので、今のところ、自分の環境では出てこないのも当然なのだろう。それって、いつ、どのタイミングで導入されることになるのか?さて?はて?

新元号の合字

新元号の公表まで間近になってきた。
元号を表すの合字「㍾」「㍽」「㍼」「㍻」がユニコードに納められている。
新元号のユニコードの合字のコードは、32FFなのだそうだ。
ということは、事前にこのコードを入れて書いておくと、今は何も表示されないけれどもしかるべき時期になると、新元号の合字が表示されることになるのではないか。

ということで、ものはためしだ。

ここに出てくると予想



さあ、どうなるかな。お楽しみ。

追悼、児山紀芳さん

愛聴番組NHK FMのジャズトゥナイトを担当されていたジャズ評論家の児山紀芳さんが亡くなった。
もうあの「聴いてもらいましょう」という口調が聴けない。昨年9月1日の「ホレスシルヴァー生誕90年」が登場された最後だった。その後は、体調不良とのことで、再放送が何回かとジャズミュージシャンが交替で担当してきた。きっと戻られると思っていたのに残念だ。

2015年7月11日。オーネットコールマンの追悼の回で披露されたオーネットへのインタビューの内容が記憶に残る。

1974年にオーネットのニューヨーク、ダウンタウンのロフトを訪ねた時のコメント。

児山
「あなたは1959年にニューヨークのジャズ界に登場して、ジャズに新しい概念をもたらすとともにその後のジャズに大きな影響を与えました。自分自身では何を達成したと考えていますか。」

オーネットコールマン
「これまでをふりかえって、私が何をやったかということに思いをはせると、私は才能を持つ人が、白人であれ、黒人であれ、人間でありたいという主張ができる芸術を見つけ、それが何かを人々に知らせたことではないかと思う。
私にとってジャズとは、一人の人間として私が自由であり正直であり自然であるためのもっとも根源的な意思表示の方法だ。だれかに何か新しいことをやって評価してもらおうというようなそんなものではない。創造の喜びを皆と分かち合うことなのだ。」