太多線に乗ってみた

岐阜に行くのに名古屋経由は芸がないので、多治見と美濃太田を結ぶ太多線(たいたせん)でショートカットした。単線の高山線の特急待ちでかえって時間がかかる結果にはなったけど。
途中にこんな駅を発見。
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前後合わせ技で良い感じ。

百福

10月からの朝の連ドラは、百福という人の奥さんが主人公らしい。
一足早く、中国の南昌で本当の百福を見てきた。
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ヴィルニウス・セロニアス

バルト三国の一つ、リトアニア。その首都ヴィルニウスで開催された学会に参加してきた。
会場のヴィルニウス大学から歩いて5分くらいのところにその店はあった。

店の名前はセロニアス。
もちろん、あのセロニアス・モンクからの名付けであることは間違いない。
ミュージックショップとオーディオショップを兼ねている。

地下の店舗への入口は独特の雰囲気を持っている。

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しかも地の底から聞こえてくるのは、フリージャズ。これは行くしかない!

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リトアニアやバルトのジャズに詳しくないので、お薦めのアルバムを紹介してほしいとお願いする。
店主は、親切な方で、何枚か用意してくれた。

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どうやらフリージャズが基本らしい。左上はヴィルニウス・ジャズフェスティバルのライブ。これがお祭りで楽しめるとは、素晴らしい!

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話はこれでおしまいではない。なんとここは独自のレーベルでアルバムをプロデュースしているのだ。その名は、NoBusiness!
しかも驚いたのは、その最新作。阿部薫!1978年7月の音源。謎の死の2ヶ月前の録音。

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店内には、モンクの写真ももちろん飾られている。

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オーディオも山積みで、日本製が多いようだ。マイクロのプレイヤーなどあって懐かしい。

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ジャズ(特にフリー)が好きな方で、リトアニアに行くことがあったら、ぜひこの店を尋ねてみてほしい。
ちょっとわかりにくいけれども街中にあるので難しくはない。店主も親切(日本人のアルバムをほかにも出しているとのことなので親日的だと思う)で、英語は通じる。

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特に問題なく作動してはいるけれど

ステラナビゲータとタカハシ赤道儀接続問題は、対策ソフトの適用で特に問題なく動いている。
問題は、天候だ。
6月中という史上最速の梅雨明けをしたのに、その後、すっきりしない。
夏場の空は、例年あまり期待できないのは確かで、いつもぼやきのネタなのだが。

【対策】ステラナビゲータとタカハシTemma2M接続不具合

ステラナビゲータ10とタカハシ赤道儀が繋がらなくなり、接続しようとすると「ステラナビゲータ10は動作を停止しました」と表示されて、ステラナビゲータが落ちてしまうようになった。

アストロアーツのサポートページに対策があった。
http://www.astroarts.co.jp/products/stlnav10/support/faq/control-j.shtml#temma_stop

対策ソフトを施した後、ステラナビゲータの望遠鏡設定を再度行う必要がある。

1. 「観測」→「望遠鏡コントロール」で赤道儀を選ぶ。
2. ポートで、USBシリアル変換を設定しているCOMポートを選ぶ。これは「確認」ボタンを押すとさがすことができる。

接続とソフトが落ちないことは確認できたので、一応、これで対策はできたようだ。
「ようだ」というのは、梅雨空のため、実際の空での運用はまだだから。

ほんとうのおとな

ほんとうのおとなはとは、わきまえのあるひとのことをいいます。
それは、やってよいことといけないことを即座にきちんと判断できる人です。
そして、その判断をもとに行動できる人です。
それはすべて法律に書かれているわけではありません。
人間の行いの全部が法律で定められてはいません。
同じ社会の中でともに生きているなら、書かれずともおのずと共有される基準というものがあります。
ですから、法律に書かれていないから、これは問題ないということにはならないのです。
それをよくわかっている人がおとななのです。

蛙の歌が聞こえてきたよ

一昨日の夜あたりから蛙の歌が聞こえ始めてきた。
暖かいせいだろう。今年は例年よりはるかに早い。
田んぼにも少しずつ水が入ってきたし、しばらく前から苗代もできている。
また夜が賑やかになることだろう。

出合いと別れでは、終わってしまう

季節柄、「出会いと別れ」がキーワードとして目立つ。「出合いと別れ」は語呂が良いかもしれないが、それだけでは、終わってしまうではないか。

この季節にふさわしいのは、「別れと出会い」だ。
うん。これなら、前向きでよろしい。

個人的には、「後ろ向き」もそれなりにおもむきがあると思っていないわけではないが、まあ、それだけだと世の中、暗くなりすぎるので、前向きに、「別れと出会い」に光を求め、期待に胸躍らせて行きましょう!

どうせ知っていることさ、という不確定な確信

ちょっと、あれを見ておいてごらん、と言われて、どうせ既知のことだから、と放置してしまうことがありがちだが、それは、危険。

既知に違いないと思っても、確認してみたら、知らなかったことに遭遇することがある。

見逃して悔しい思いをするくらいなら、再確認して大丈夫と思う方がよほどいい。

とあることから、そう思った。人の振り見て我が振り直せ、だな。

当たり年

今年は天文現象当たり年なのだそうな。
明日は、皆既月食。
楽しみだなあ。でも、天気が…。

生きている人のジャズ

亡くなったミュージシャンの演奏ばかり聴くことが多かったけれども、生きている人のジャズ、しかも新譜を買うことが多い一年であった。

排除

あと一月あるけれど、今年は、身辺、世間を問わず、「排除」ということに明け暮れた一年だったような気がする。
「排除」は、どことなくいやな語感はあるけれど、不要なものをより分けてすっきりさせるという効能もある。その点で、功罪、,両面があることばだ。
でも、除けるだけだから、根本のところには踏み込んでいないことを忘れてはならない。
面倒なもの、面倒なこと、それぞれが「面倒」であることの本質は、何なのか。
ここを考え続けることが肝心なはずだ。

考える人の礎

生きていく上では、さまざまな場面で適切な判断を下すことが求められることはいうまでもない。
そのためには、どうしても基準になる知識が必要だ。
それを身につけた上で、冷静に思考、判断できるのがリベラルだと、私は理解している。
したがって、一時的な心情あるいは感情、一方的な志向のもとで、思想や行動を押しつけることは、どのような立場であってもリベラルではないことになる。
このようなリベラルの基盤をなすのが教養である。
かつて、どこの大学でも行われていた教養教育は、それを身につけるためのものであったはずだ。それが現在は、ほとんどのところで消えてしまった。
膨大な情報が精粗を問わず溢れている今こそ、高等教育の中で教養教育が求められる。むろん、それを実施する大学人自身も本来の意味での教養を備えていることが必要だ。
教養は雑学ではない。考える人の礎である。
なお、乏しい人生経験ながら付け加えておくと、教養を身につけたリベラルな人は何も大学人に限るものではない。市井にもたくさんいて、そのような人々との出合いと交流を通して、自身の考え方や生き方が導かれてきたことが、これまでも多々あったとふりかえるものである。

ライナーノーツ

最近のCDのライナーノーツは、あまりに簡略すぎる。しかも、どうでもいいようなことしか書かれていない。
腕を組んで、首をかしげながら、でも、ふむふむと感じるようなライナーノーツが読みたい。

語り始める

戦下における自らの行為を語り始めた人が多いような気がする。
そこまでには七十二年の歳月が必要なのかもしれない。
長くつらい日々だったに違いない。
そして、墓石の下に持ち込むことの是非の判断の末の結論なのだろう。
語る勇気を真摯に受け止めたい。

晴れない!

「梅雨明け三日」とか「梅雨明け十日」とか言って、梅雨が明けるとしばらく晴れる日が続くと言われるけれども、今年はまるでだめ。去年は、きれいな快晴が続いたのになあ。

AIの先

ことばはシステムなのだから、その解析はAIの格好の対象にほかならない。
AIに勝つか負けるか議論したり、AIの不備をあげつらったりするのは、しょせん嗜好的な論に過ぎない。
自動解析してくれるなら、それはAIに任せ、その先でどんな面白いことができるか考える方が楽しいに決まってる。

監視の益するところは?

某国はネットの利用も監視されているらしいが、スマホに変えたらこちらだって誰かに監視されている雰囲気がかもしだされている。監視することに何か益するところってあるんだろうか?